戦でののぼり
のぼりが日本で誕生したのは、室町時代の戦国の頃だと言われていまして、その当時の戦で味方と敵を判別するために、のぼりを掲げて戦っていたとされており、これは非常に有効的でして、同じような武装をしていては、間違えて味方を殺してしまうことになり、勢いづいていたにも関わらず、ちょっとした勘違いから、負け戦となりえます。
また、戦をしている途中の戦略も考えやすくなっており、対照はそののぼりの動きを見て、戦の優劣を一目で判断できるため、どの様な戦い方をするべきか見えてくるのです。
ところで、その当時使用されていた素材というのは、今とは全く異なりまして、ポールなどは木材を利用しているか、竹を活用してポールの代わりにしていたでしょうし、布の部分といえば、綿か絹、または和紙を使って作成するしかありませんし、今のようにハイテクな素材は存在しませんので、自然界の中で使えるものを少し加工してのぼり旗としていたに違いありませんし、1つののぼりを作るのも非常に大変だったと思います。
現代を生きている私でも、今使用されている「のぼり素材」を、どのように加工して作られているかは知りませんし、工程も知らないことを考えると、その当時の人も、和紙を作り出す方法をみんなが知っているとは限りませんし、きっと、のぼりの旗部分を作る人や、ポール部分を作るひと、それに文字などを入れる人など、その仕事を専門としている職人がいたに違いないと思いますし、私の頭ではそれしか考えられません。
風林火山
うちの父親が骨董品を集めるのが好きだということもあって、子供の頃から風林火山ののぼりが好きだったのですけ、なぜ好きになったかと聞かれると憶えていないのですし、その意味すら全くもって知らなかったのですが、漢字が並んでいる雰囲気が格好良くて男らしさを感じていたのだと思うのですが、実は武田信玄が使用されていたとされる風林火山ののぼりは、最初に使用していた人間は違うという研究者も出てきています。
ですから実際は、風林火山ののぼりは武田信玄よりも200年前に使用されていたようで、それを継承したような形となるわけですが、それは南北朝時代の鎮守府将軍であった北畠顕家が最初とされ、今日を制圧した足利尊氏を打倒するために使用していた時ののぼり旗だったそうで、歴史というもの絶対に正しいことはないのでしょうね。
継承したと言うと大袈裟にはなりますが、北畠顕家は名将として親しまれており、武田信玄はこの北畠の風林火山と書かれたのぼり旗を参考に作ったと考えられています。
それではマメ知識として、歴史好きな私から風林火山について簡単に説明させて頂きますと、これは疾如風と徐如林、侵掠如火と不動如山を意味する言葉でして、「はやきこと風のごとく、静かなる林のごとく、おかしめ火のごとく、動く事のない絶対的な山のごとし」という意味を思っており、頂点にたつ人間としての資質でもあるようです。
最近までは、この意味を知らなかったのですが、このような意味を知ってからは、更に風林火山と言うのぼりが好きになってしまいまして、北畠将軍にも興味を持ちました。